SMAPはインフラだ、とかつて朝井リョウさんは言ってくれていた。
彼と同世代の私もそう感じている。存在が当たり前だった。
彼らのいない世界は想像する必要はなかった。
でも今年の1月から少しそれに近いことを感じることが正直あった。
なんとなく腫れ物扱いされていたSMAPを見てきた。
なんとなく未来を語ることが少なくなっていったSMAPを見て
なにか受け入れがたい未来がすぐ近くにあるような怖さとともに、
乗り切るだろうと思っていた。いつものように。
振り返れば1月18日。
SMAP☓SMAPの生放送で黒スーツに身を包み、
何かを謝っていたような気がする5人をぼんやり覚えている。
見返すこともなく、見返したくもなかったあのときから、
私はSMAPに対する感情が止まっていたような気がする。
その時ツイッターにも呟いたのだが、
感情が殺されたような思いだった。
悔しいとか哀しいとかそういう次元ではなく
なにか大きなものに無にされた感じがしていた。
正直彼らは何を守りたくて何をしたかったのかがわからなかった。
そこに何が遮っていたのか。
答えはいらなかったけれど、憶測の答えしかない世界は不安でしかなかった。
何かがおかしいのはSMAP☓SMAPだった。
ビストロSMAPは観客を入れず、5人でSMAPの歌は歌えなかった。
元々少なかったけれど、5人だけでTVに映ることは明らかに少なくなっていった。
決定打になったのは夏の音楽番組の辞退だった。
それまで2004年に新曲を出さなかった時紅白を辞退したことは記憶しているが、
今年は何かが違っていた。中居さんが司会をする音楽の日にすら出られなかった事実に
自分が想像している以上に大きな壁があるのだろうと思った。
でも、いずれ時間が解決していくのだろう
来年にはオリジナルスマイルを歌っているSMAPに会えると思っていた。
解散かあ。今年で。
そういえばUSJのコンセプトは「世界最高峰のエンターテイメントを集結させること」だそうだ。
ぴったりだったな。
人にやさしくの前田前に惚れたのが懐かしいよ。
とってもあったかいんだけど、うちわを振ってもなかなか見てくれないところがらしいねって
友人とはなしていたなあ。
黒うさと上手く付き合っているのかなあ。
すごーく悩んでいる時に僕の生きる道を見て勇気をもらったなあ。
すごーい俳優さんなのに天然すぎていつも癒やされていた。ライブでは本当に後ろまで見てくれて
嬉しかったなあ。
初めてライブに行った時地元広島が山の匂いがするって言われて笑ったなあ。
番協に行った時、かなり観客に対して突っ込んでてなんてヒステリックな人なんだと思ったけど
とてもスマートな人って気づいたのは私がおとなになってからだったなあ。
大サビを気持ちよさそうに歌うのを見ているのが大好きだったなあ。
ワッツが全国放送で唯一聞けたんだよ、一番聞いてるラジオなんだよなあ。
親が聞いて何聞いてるの!!ってちょっと怒られたなあ。シモネタ言うんだもん。
一番振り回されたのはこのグループのリーダーだった。なんか不機嫌なときもあるし、黒焦げの時もあるし
でもとてつもなくグループを考えていた人だったなあ。考えすぎるところが歳上ながら不安になることもあったなあ。
汗の臭いがするアイドルだったなあ。
傷跡がみえるアイドルだったなあ。
優しくてあったかいアイドルだったなあ。
だったなあで終わるのかなあ。
SMAPが歌ってきた歌詞とか映像とか作り出してきたものを今はうまく呑み込めないので、私が大好きなもう一つのグループで、SMAPの大切な後輩のキンキキッズの歌でこんな歌詞があって、それを今5人に贈りたい。
「瞳を閉じて口を閉ざして生きていくには永い」
そう思うよ。
一旦、お礼をいいます。
本当にありがとう。
一旦ね。